価値観のすり合わせ

たぶん、わたしの人生で圧倒的に不足しているものは対話だと思う。


根本的に面倒くさがりで、意見を対立させるよりわたしが折れて受け入れる方が楽だと思ってたし、
そもそも自分の意見を言う方が面倒な環境で生きてきたりしたせいで、人と話すのが大変苦手になってしまいました。

その反動でネットだとよくしゃべる典型的な内弁慶っぷり。我ながら情けないですね。

とはいえ何も考えてないわけじゃないし、それどころかかなり思想も我も強めなので我慢ができずぶつけてる様をお見せしています。
が、それを人に対しては全然言えないわけで。


実のところ、その程度の相手に対してならそれでいいと思ってはいます。
わざわざ理解しあうのが無駄な知り合いもいっぱいいるはずだし。

というか、今までそれでいい人間の方が多かったのかもしれない。
青春の代名詞みたいな、喧嘩でお互いを知ってより良くなる関係、なんてものは決して多くないと感じました。

どうでもいい相手に私の時間を使うコストも、相手の時間を使わせる煩わしさも無駄だろう、と。
どうせあと数年で切れる関係だし、わたしが実害を被らない程度に好き勝手してくれればいいよ、と。
そう思っていた高校のクラスメイトとは、当然のように卒業以来一度も連絡を取っていません。

その程度の相手に対してならそれでいい。
お互いがお互いを『当時の思い出の背景』くらいにしか認識してない(はずの)人の価値観はどうでも良いです。


でも、幸か不幸かちゃんと仲良くなりたい人にも出会ってしまったんですよね。


高校の頃はほんとにびっくりするくらい時間があったので今回の議題"価値観のすり合わせ"もしたような気がします。
当時の友人に会うとやっぱりずっと時間があると錯覚して本当に色々なことを話しこんだりもしてしまいます。

たぶんもう交友関係は広がらないから、仲良くなりたい人ととことん仲良くなりたいし。

そうは言っても、今更別に喧嘩して仲直りしてもっと仲良くなれたね、は求めてないです。もう喧嘩する労力もありません。

ただ、理解できないなと思ったとき、「分かり合えないからもういいや」と対話を諦めないようにしたい。
ついでに理解できることも理由まで聞いて納得したいのです。


自分のことが好きで好きで仕方なさそうな気持ち悪い文章になりましたが、要はもっと人と話したいってことです。対話大事。


すり合わせなくても、人の価値観を自分で解釈するんじゃなくてその人の言葉で説明してもらうのってすごく良いなって。
考え方ってみんな違うけど、無意識下で自分と同じか違うかで判断していたり、こういう答えが来るはずと思い込んでいる節があると思うんです。てか、わたしがそれ。

他人に求める最低ラインも知らないうちに設定しているし、自分の常識は共通だと思ってるし、その辺に勝手に期待してる。
だからずっとイライラしているわけです。

なんやかんや20数年も生きてしまったから。
こういう根本的なやつは変えられないだろうけど許容範囲を広げておきたい。
それを実現できる方法こそ、きっと対話だと思うのです。

たぶん他人への期待値も下がって心も穏やかになれるはず。

会話を途中で投げないようにします。意味わからなくても納得できるまで聞きます。
我が強すぎて一生納得できんかもしれんが……。



あとは自己開示もしていこうかな!
こっちが守りのポーズだと相手も守りのポーズになりそうだし。


わたしが勝手にいちばん仲良しだと思ってる友人は彼女の友達とか同僚とかの話をなんでもしてくれるので、わたしもそうやって人に話せる友達を見つけたりしようと思います。.
そういうのって許可制なのかな?
自分にとって有益な話だったらそこかしこで言いふらしてほしいけど悪い話だったら許可取ってほしいですよね。
悪口言う許可なんて誰も出さないけど。

もし許可取りされたらそういうことだと思ってください。よろしく。