プレゼントは気持ちの押し付け

こんばんは、ゆきです。

気付けばもう3月も半ばに差し掛かっていました。まったく時間ってのは経つのが早くて困りますね。

わたしはいつまでこの時間経過のスピードに驚かされ続けるのでしょう。永遠に、かな……。

 

さて、

 

これはとんでもなく誤解を生みそうな、言葉を選ばない発言ですが、プレゼントは気持ちの押し付けなんじゃないかと思うんです。

 

生きているとプレゼントを渡す(またはいただく)機会も幾度となくあると思うのですが、こんな自己満足でしかない行為が義務感に変わったらもう終わりだとわたしは常々感じています。

まあ、確かに義務感に駆られて物をお渡しする機会もないとは言えないと思います。

わたしだってある。だからそこに、義務感よりも強い感情を乗せるべきと思うのです。

 

わたしが乗せる感情は気持ち。

だってプレゼントなんて気持ちの押し付けだから。

 

 

これはプレゼントに限った話ではないのですが、私の手元を離れたかつて所有物だったものたちは、現在の所有者が好きなように扱うべきだと考えています。

 

例としてランダムグッズの扱いを挙げようとしたんだけど、オタク特融の早口が文章上で出ちゃったのでなし。

ここは主題から逸れずプレゼントでいきましょう。

 

自分の趣味とは合わないものをいただくこともきっとあると思うんです。

その物を今後どのように扱っていくか、という話。

 

前述のとおり、わたしは自分の手元を離れた物の所有権は完全に移行すると考えているので、別に捨てようが売ろうが好きにしていいと思っているし、それに何の負い目も感じなくていいと思っています。

わたしが君にあげたものも、埃をかぶるよりは求めてる人の手に渡った方が嬉しいはず。

 

でも、わたしが人にいただいたものを簡単に手放せるのか、というのはまた別の話で、本当にプレゼントってやつは良くも悪くもずっと意識の中に居続けるんだなと思うばかりです。

 

そういうわけで、最近の選択肢として多いもの第一位が消え物。

慣習的に消え物は喜びが消えるからよろしくないなんて風潮もあったそうですが、そんなん知ったこっちゃないですよね。

わたしは結構甘いものとかデパ地下スイーツなるものが好きなので、最近は好きなお菓子を渡したりしています。

美味しいからみんなも食べてよ!の気持ち。もっと有名になって全国に展開できるようになってくれればなおよい。

 

あと、わたしが欲しいものをプレゼントすることもあります。

読み物とかがそう。ごくたまに人に本などをプレゼントしています。

本屋ってウキウキわくわくスポットだと思っているので、ときめきをお裾分けしちゃお!の感情です。本ってたぶんリセールバリューも悪くないのでね。

とはいえ、これこそ本当に押し付けでしかなく、活字は読めない人は本当に読めないらしいのでまあ難しい次第ですね。最悪わたしに返却していいから!くらいのアイテムだと思ってほしいです。

 

でもさ、やっぱ押し付けられるほどの気持ちがこっちに向いているってすごいことだと思いたいんですよね。

押し付けだぞ!って殴るくらいの勢いでわたしにいっぱいプレゼントしてくれていいからね。

 

わたしはきっとこれからも押し付けていくのでよろしく。

趣味に合わなかったら再活用してやってください(そのままわたし宛てのプレゼントにしていいよ)。

 

 

ところで、前回の最後に高校の同窓会なるものが開かれるらしいなんてお話をしました。

すっかり前回の記憶が抜け落ちていたので大衆的な話題は何一つ用意できていなかったのですが、そもそも参加できなかったのでまさに杞憂でした。

 

なんで参加できなかったのかは想像にお任せします。わたしだってどうにか参加せねばと勝手に使命感には駆られていたんですけどね。。

 

 

2/3-3/15時点

・ランダムグッズ...約32(累計 : 54)
まじで記憶に残ってるやつしか数えられないからたぶんもっとあります…

・お笑い...6(累計 : 12)